刺青の話

銭湯や温泉、プールなどに行くと「入墨の方お断わり」の貼紙を見る。

これが、いま、問題になっている。

外国人に意外と「tattoo」を入れている人が多く、増加中にある外国人観光客から疑問の声が上がっている。日本の規則だから、それはそれで仕方がないと言う外国人もいれば、せっかく楽しみに温泉に来たのになんで入れないの? 高いお金を出して泊まっているホテルのプールが使えないなら金返せ、などと言う人もいる。

アフリカやアジアの国によっては入墨が民族風習のところもあって、それで制約を受けるのは人種差別、民族差別に当たるんじゃないか、という意見もある。

ちなみに入墨で温泉やプールに入れないというのは法律や条令(一部市町村は条例で禁止しているところもある)で決まっているものではない。あくまでもその施設の規則に過ぎない。

筆者は前から思っていたのは、温泉やプールはともかく、なんで銭湯まで、「入墨お断わり」なのか。今はたいてい家に風呂があるが、家に風呂がない人がいるから、銭湯は営業している。つまり、家に風呂がなくて入墨を入れている人は風呂に入るな、ということか。これこそが一番の差別じゃないのかと思う。

 

なんで入墨に入場規制があるのか

 

なんで入墨をしていると、銭湯や温泉に入ってはいけないのか。

なんでだろうね?

実際のところは、私にはよくわからない。

入墨を入れている人は、圧倒的にやくざ者が多い、ということらしい。いわゆる、暴力団員。非合法団体の会員。暴力団員ではないにしろ、若い頃、ヤンチャしていた人、ということだ。

で、そういう人は怖い。短気で、喧嘩っ早くて、で、喧嘩が強い。うっかり関わると殴られる。下手すりゃ殺される。だから、そういう人が銭湯にいると近付き難く、銭湯としては営業にさしさわりが出る、ということらしい。

おそらく、実際にトラブルが起こり、他の客からの苦情も出て、銭湯などの経営者もいろいろ対策を講じ、警察なんかにも相談し、トラブルを未然に防ぐには、入墨を入れている人を排除しちまえば早かろう、ということになったのだろう。

 

入墨と刺青は違うもの

 

いまでこそ、入墨を入れるのはやくざ者が圧倒的に多いが、江戸時代は一般の人も多く入墨を入れた。

ただしくは刺青である。

刺青と入墨は違うものだ。

今日のように、背中に鮮やかに唐獅子牡丹や観音様を入れるのは刺青、手にワンポイント「○○命」とか小さな龍なんかを入れるのも刺青。

入墨は罪人が無理矢理入れられる。島流しになったり、あるいは入墨刑なんていうのがあった。時代劇で、腕に輪の入墨を入れられて、それが前科者の証しとなる。昔の中国では顔に入れて一発で前科者とわかるようにした。酷いのは顔に「悪」という字の入墨を入れたりもした。

極彩色の刺青が入れられるようになったのは、江戸後期。印刷技術の発達にあわせて、絵の具が工夫されたことにもあるのだろう。

その頃は一般の人が刺青を入れたが、肌脱ぎになる職業が多かった。火消しや船頭、木場の筏乗りなどである。

刺青は体に針で、あの極彩色の絵を描くのであるから、そうとうの痛みが長時間続く。かなりの根性がいることであった。刺青はまたの呼び名を「我慢」と言った。

肌脱ぎになる職業の人が、威勢よく刺青を見せることで、この人は我慢をしてあれだけの刺青を入れた、我慢の出来る人、根性のある人だ、ということで漢(男)が上がった。

逆に火消しなどで刺青を入れていないと、我慢が出来ない、根性のない奴だ、あんな奴に火が消せるのか、と馬鹿にされた。だから、こぞって刺青を入れたのだ。

堅気の火消しや船頭が、我慢の象徴として刺青を入れたあとで、やくざ者も、己の根性の証しとして刺青を入れるようになったのだ。

 

己のアイデンティティを体に刻む

 

では、江戸の人にはどんな刺青の絵が好まれたのか。

刺青は一度入れたら簡単には消せない。

いまの人は好きなアイドルの名前を入れて、そのアイドルが結婚して引退して悔しい、悔しいけれど消すに消せない、なんていうのがよくあるそうだ。

そういう間抜けは昔もいて、何人かで一枚絵を入れて、メンバーが揃うと格好いいが一人だとなんの絵だかわからない、なんていうのもいたりした。落語で、先祖代々の墓の刺青を入れて、「墓参りに行く手間がはぶける」なんていうのもあった。昔もいまも間抜けはいた。

入れるのにも我慢が入り、消せない刺青だけに、刺青には覚悟も必要だし、どんな絵を入れるかも考えを巡らせたのであろう。

武者絵というのが当時流行した。武将の錦絵で、それを原画とした刺青が流行した。

源義経源頼光頼光四天王渡辺綱坂田金時など、強い武将とその生き方を、己のアイデンティティとし、そんな武将のような生き方をしたいという想いを込めて肌に刻んだ

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また、江戸中期から後期には「三国志演義」「水滸伝」などの中国の読み物が流行し、青龍刀を持った関羽や、蛇矛をふりまわす張飛の絵もよく描かれた。

幕末に歌川国芳が「水滸伝」の豪傑を武者絵にしてから、水滸伝の豪傑の刺青も流行した。「水滸伝」にはいわゆる武将だけでなく、花和尚魯智深、九紋龍史進、虎退治の武松といった市井の無頼漢が多くいた。そうした市井の者たちの行き方に、自分たちの生き方を重ね合わせることが出来たのであろう。とりわけ、李俊、張順、阮三兄弟、張横、童威、童猛ら、船頭や漁師もいたため、肌脱ぎ稼業の船頭は、それらの刺青が生き方と職業にフィットした。

 

現代の刺青

 

外国人のtattooに限らず、日本人でも、もはや刺青はやくざのものではない。

機械彫りで、腕や足などに1ポイントのお洒落で入れる場合も多い。火消しや船頭はいなくなったが、ロックミュージシャンやダンサーにも多い。女性も多く、ちょっと前はストリッパーやSMの女王様がよく刺青を入れていたが、一般の人でも、入れる人は多い。

刺青イコールやくざ、という感覚は薄れてきているのが現状ではなかろうか。だとしたら、外国人うんぬんの前に、銭湯や温泉も、新たな対応を考える時がきているのかもしれない。