脱獄なんて割りにあわないことを何故するのか

富田林の脱走犯が捕まって、ホッとした。

いや、日本で脱走なんていう、割の合わないことを、なんでやらかすんだろうと思った。

アメリカやヨーロッパなら、州境や国境を越えて逃げる、というのもありかもしれない。微罪なら国際手配をされることもないかもしれない。

日本は逃げられるもんじゃない。逃げる場所はない。いつかは捕まる。それでも脱走事件が続いた。一体彼らは脱走の先に何を見ていたのだろうか。

 

なんで脱走なんて割りのあわない事をするのか?

 

なんで脱走なんて割りのあわないことをするのか?

って言ったら、知り合いが「それは入った者でないとわからない」と言った。

その知り合いは刑務所には入っていないが、若気の至りで、ヤンチャして拘置所にとめおかれたことがあったそうだ。

拘置所に何日もいるとね、たまらなく空が見たくなるんです」と彼は言った。

私たちは普段暮らしていても空なんか見ない。見ることもあるが、意識して、空が見たいと思ったことはない。それはいつでも見られるからで、見られないと見たくなるものだという。

空が見たい、思いっきり走りたい、普段はそんなもの飲みたいとも思わないが、甘いコーヒー牛乳が飲みたい。普通に出来ることが出来ない、そのストレスが尋常ではない。だから、チャンスがあれば脱走したいと、中に入った者は思うらしい。逃げ切れるとか、どっか他所の土地で第二の人生を送ろうとか、そんなことは考えていない。そういうことはどうでもいい。何時間かでもいい、空を見て、手足伸ばして銭湯に入って、コーヒー牛乳飲んで、それで戻ってきてもいいから娑婆の空気が吸いたいんだそうだ。

 

映画に出て来る脱走

 

我々が身近に脱走というと、映画なんかでよく見る。

有名なところでは、1963年の映画「大脱走」(監督-ジョン・スタージェス)がある。ドイツの捕虜収容所から、後方かく乱のため脱走をするという話だ。目的もはっきりしているし、捕虜になっても戦い続ける軍人魂である。脱走に大義がある。

クリント・イーストウッドが主演した「アルカトラズからの脱出」(監督-ドン・シーゲル、79年)は絶対に脱走不可能という島になっている監獄からの脱走を描く。脱獄犯と看守のバトルだし、最後は脱走してどうのじゃない。脱走犯もただ意地で、脱走したことに意味を見出すのである。もうゲームだよね。

「新黄金の七人7×7」(監督-ミケーレ・ルーボ、66年)は凝っていた。刑務所に入っているというアリバイのもと、一晩だけ脱走して、造幣局を襲って、何食わぬ顔で戻って、出所後に大金を手にする計画。これも目的のある脱走。そういうのもアリか。コメディだから、間抜けに計画は失敗する。

日本だと、「網走番外地」(監督-石井輝男、65年)かな。高倉健南原宏治が手錠で繋がれながら雪の大地を逃げて行く、そういう絵の面白さだろうな。目的はない。無謀な南原宏治健さんは巻き込まれる。

「るにん」(監督-奥田瑛二、06年)は江戸時代に八丈島から島抜けした実在の人物、佐原の喜三郎を描いた作品。三宅島と八丈島の間には黒潮が流れていて不可能と言われていた島抜けを、喜三郎は実行した。映画では描かれていないが、佐原の喜三郎は同じ佐原出身の伊能忠敬と親交があり、伊能忠敬が伊豆諸島を測量した地図の写しを持っていたもという話もある。

その後、喜三郎は捕縛されるが、何故だか許されている。喜三郎の島抜けには、別の理由があったのかもしれないという説もある。

古典では、ビクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」だろう。脱走じゃないが、仮釈放中に逃走した。仮釈放で受けるさまざまな枷から逃れるという意味では脱走であろう。身分を偽り、一時は成功者となるジャン・バルジャンが哀れな娘コゼットのためふたたび逃亡者となる。

あとはデュマの「モンテクリスト伯」は復讐目的の脱獄、このほうが本来の脱獄らしくていいのかもしれない。

 

実在の凄い脱獄犯

 

日本では昭和のはじめに、白鳥由栄という脱獄犯がいた。強盗殺人で懲役刑となり、4回脱獄し、3年以上逃げていたこともあったというから、脱獄の成功者と言ってもいい。そんなに逃げられたのは、戦争中で、警察も手薄だったというのもある。

白鳥が捕まったのは戦後。畑泥棒と間違われ、村人に捕まったが、反撃して村人を殺害している。

富田林の犯人を捕まえたのは警備員の女性だった。これ、考えると、ちょっと怖いね。

白鳥の脱獄の理由は、劣悪な刑務所の環境にあったという。脱獄の方法は、鉄格子に毎日味噌汁を掛けて、塩分で鉄を弱らせたというから、気の長い話だ。

だが終戦後も、昭和22年にトンネルを掘って脱獄、翌年捕まり、そこから10年は模範囚として過ごした。戦後になって、刑務所の劣悪環境が改善されたこともあるのだろう。昭和36年仮釈放、堅気として働き、昭和54年に病没。

明治時代には、五寸釘の寅吉という脱獄犯もいた。逃げる途中、五寸釘が足に刺さったが、そのまま逃走したという凄い奴だ。寅吉は博徒、いわゆるやくざで、その抗争で収監された。脱獄後も博徒として全国を逃げて歩いた。明治の頃は警察の力も弱く、博徒同士の一宿一飯で匿われていたからなかなか捕まらなかった。そういう時代だったのだろう。

何度か捕まり、大正13年に高齢のため釈放、その後は芸人になって、己の懺悔話を高座で語った。演芸として語ったことだから、寅吉の話には誇張もあり、信憑性を問われる部分も多いのだという。

他にも映画や小説に描かれる脱走にはいろんな理由がある。冤罪で捕らわれて、無実を証明するために逃げるというのもある。過酷な囚人生活からの逃走もあろう。病気の親や恋人に一目会いたいとか。物語としては、いろいろあるんだろう。

現代の脱走犯は何を考えて逃げていたのか。

 

現代の脱獄犯

 

それにしても富田林の脱獄犯はある意味すごい。関西で脱獄し、捕まった場所が山口県だ。しかも万引きして警備員のおばちゃんに捕まった。絶対に逃げられるもんじゃない、脱獄なんて割りに合わない、という常識を覆した。検問も何も素通りして、山口県まで逃げ切ったのだ。万引きなんかしたから捕まったわけで、もし協力者がいて、金銭的な援助をすれば、もっと逃げられたかもしれないのだ。

自転車で逃げたというのが、街道や駅の検問をすり抜けた。車やバイクを盗めば、ナンバーですぐに見つかる。自転車で旅している人は案外いるし、そうした旅人には四国のお遍路のお接待ではないが、優しくしてくれる人も多かったのだろう。

そう言えば「大脱走」でも、オートバイで派手に逃げたスティーヴ・マックィーンは捕まるが、自転車で逃げたジェームス・コバーンは逃げ切っている。富田林の脱獄犯が「大脱走」を見ていたのかどうかはわからないけれどね。