高齢者の免許証返納問題について

人が亡くなっていることだから、あまり軽はずみなことを言ってはいけないのかもしれない。 

高齢者の方が運転の操作ミスで起こす交通事故が多発している。そのために高齢者は運転を控えるべき、さらには、免許証を返納すべきなどの意見が聞かれる。

いや、ワイドショーなどではコメンテーターが口を揃えて、「危険」を連呼し、「事故が起こってからでは遅い」と訴える。まるで免許返納キャンペーン番組になっている。

「危険」はわかる。自身で「老い」を感じたなら、運転しないほうがいいというのはわかる。ただ人間個人差もある。元気な高齢者もいる。いや、元気でない高齢者で、通院に車を使いたい人もいる。そのほうが深刻である。皆、いろんな事情を抱えている。一律に免許返納することを、半ば脅しに近いかたちで高齢者に求めるのは、あまりにも酷ではなかろうか。

 

足を奪われたらどうなる

 

地方などでは、電車、バスの本数も少ない。やはり、居住者の足は車になる。そうした集落に住む人たちは、通院、買い物に車を使う。そうした村には、高齢者のみの世帯もある。そこで免許証返納という、彼らの足を奪うことは、生活を奪うことになりかねない。もちろん、自治体も、通院用のバスを運行したり、タクシーチケットを配ったりということもしているだろう。しかし、自治体それぞれの事情もある。すべての自治体でカバーできているわけではない。

また、都会に住んでいれば問題がないわけではない。東京でも、地下鉄などでエレベーターのない駅もまだまだ多くある。通院などで利用するには高齢者には過酷な場合もある。そして、誰もが駅の前に住んでいるわけではないということだ。

自身で運転しなくても、息子や娘や孫に送ってもらう、これが一番なのはわかるが、息子や娘や孫にはそれぞれ生活がある。たまの通院なら送迎できても、いつもいつもというわけにはゆかない。

通院はまだいい。買い物ともなれば、荷物を持って、電車に乗ったり、歩いたりしなければならない。

高齢者こそが車を必要としているのである。

 

危険なのは高齢者だけではない

 

実際に事故がニュースになって、高齢者ドライバーの危険性がクローズアップされている。しかし、危険なのは高齢者に限った話ではない。

実際に車で走っていると、急な割り込みやら、あるいは割り込ませないために急加速したり、運転マナーのよくない人はずいぶんいる。近年の「あおり運転」なんかも、ない話ではないのだ。

もっと言えば、あれだけ大きな事故が起きながら、いまだになくならない「飲酒運転」はなんなんだ。いまでも時々飲酒運転の検問で止められるのは、いまだに飲酒運転がなくならないからだ。それにしても検問のおまわりさんも大変な仕事だ。機械とは言え、「息を吐きかけてください」って、酒飲んでなくても息の臭い人はいくらもいるのだ。

私もたまに酒は飲むが、飲酒運転はしたことがないよ。逆に車で行っていると、酒席を断る言い訳にもなる。そんなことはどうでもいい話だ。

 

働く高齢者に厳しい

 

もう一つ、高齢者でも働いている人はいるということだ。

いきがいで働いている人、その人の特殊能力で、高齢でも求められている人など、いろいろいるが、一番大きな問題は、生活のために働かざるを得ない高齢者がいるということだ。

いまの時代、そうそう楽隠居はさせてはくれない。年金で慎ましく暮らす、それも選択肢の一つだが、慎ましく暮らすことすら難しい。ましてや、自営業者などで国民年金しか入っていない人に、年金で慎ましく楽隠居なんて無理な話だ。高齢だから仕事の規模を縮小してそのぶんを年金で補填している人はいるだろうが、結局仕事はしなければならない。

息子、娘が立派で引き取って生活の面倒を見てくれる人もいるだろうが、時代の流れで、それが主流ではなくなっている。もちろん、現役時代にうんと稼いで、アパートでも建てて家賃収入、株などで配当収入で暮らすという人もいるだろう。そんな人ばかりではないのだ。

働くことが狭き門だよ、高齢者は。そこにさらに免許証返納とはたら、手足縛られる様なものだ。

植木屋さんとか、軽トラで高齢の職人さんが来てくれたりする。そういう職種には車は欠かせないものだろう。

高齢者と一くくりにすることがまず間違っていないか。

高齢者もいろんな事情を抱えている。元気な人、病気な人、楽隠居したい人、仕事したい人、仕事をしなければ生活できない人、家族がいる人、夫婦だけの人、独居の人……、それぞれ違う。車のいらない人もいれば、ないと困る人もいる。もともと免許がない人もいる。

高齢者にも個を認めて、年齢だけでない対応をすべきなんじゃないのか。

一律免許返納の法律化の動きもあるらしい。政治家も高齢者が多いが、運転手付の公用車で国会に通っている人たちには、免許がなければ暮らせない人たちの気持ちはわかるまい。

もっと言えば、政治家なんて、国家を運転しているようなものだ。あんまり高齢の政治家がうっかり暴走、なんていうことのほうが怖くはないか。

 

道はやはり技術革新

 

道を歩いていて思うのは、よたよた歩いている高齢者の人のほうが危険は大きいかもしれない、人は巻き込まないが、自身が事故に遭う可能性は大きい。自転車も怖い。高齢者で自転車を飛ばしている人を見かける。転んだら大惨事になる。

危険は車だけではないのだ。

もっと言ってしまえば、毎年毎年、正月に餅を喉に詰まらせて死ぬ高齢者がいる。高齢者は餅を食うのも命懸けなのだ。

だから。

高齢者に優しい政策が望まれる。

車だけでなくね。

高齢者はいろいろな経験を積んでいる。体力や反射神経の限界はある程度はわかる。そういう人は言われなくても運転はしなくなる。

もしも免許証を取り上げるなら、それに代わる足は最低確保するのが、政治の責任だと思う。

あとは誤作動防止や、自動運転などの技術革新がキーになる。

実際にそういう車が現実に登場すれば、何も免許返納を声高に言わなくてもいいはずだ。

一つは技術、あとは個人が、優しさをもって接すること、それが最優先だと思うのだが。