憲法に関する私見

憲法改正が本格的に論議され、改正の現実味が帯びてきた。

どうなんだろう。憲法が変わっても、私たちの生活はたいして変わらないよ、と言う識者もいるが、果たしてそうか? ようは憲法の何をどう変えるかで違ってくるのではなかろうか。

少なくとも自民党改憲案には、疑問符がつくことは間違いない。だから、いろいろソフトランディングな部分改憲や、解釈で考え方の変えられる条文が作られようとしている。何をどう変えるかによって、私たちの生活に影響を及ぼすことがないとは限らない。しばらくは報道に目が離せない。

何をでは、やはり注目しなくちゃいけないのは、9条、13条、18条だろう。天皇陛下の御退位で1条にも関心は集まっているが、とりあえずここでは、9条、13条、18条についての私見を述べさせていただく。あくまでも私見であって、反対意見にどうこう言うものではないが、ここでこれから書く諸々はこういった思想信条に基づくものであるとご認識いただければ幸いである。

 

9条は人類の理想

 

戦争放棄と軍隊の保持を否定した憲法9条を「非常識」だと言う人が多くいる。

南の島の小国ならともかく、先進国の大国たる日本が軍隊を持たないなんて、ありえない。先進国は皆、軍隊を持っているし、ロシア、中国、北朝鮮、韓国、台湾とも領土問題を抱えている。国際紛争を解決する手段としては軍事行動こそが世界の常識だ。それを法律で禁じている日本は非常識?

そんな、国際紛争を軍事行動でどうにかしようというほうが、私に言わせれば非常識だ。ちょっと前なら「戦争で儲かる」なんて言う資本家もいたが、今は戦争なんて、金ばかり掛かって国が疲弊し、産業や文化が停滞して、ちっとも儲からない。

実は平和憲法を制定したいと考えている先進国はいくつかある。

一番の理由は、「戦争は儲からない」からだ。

もしも戦争が儲かるなら、トランプは世界中で戦争おっぱじめているはずだ。火種はごろごろ世界中にあるのを、かなり一生懸命消して歩いているのは、彼が平和主義者なのではなく、ただただ儲からないからだ。

ただ、世の中には、かつて「戦争が儲かった」時代の旨味を覚えている権力者がいて、火種を撒いているヤカラもいるから困るし、そんなヤカラはいろんな手を使って平和憲法の制定には反対している。自国の主権を守るためには軍隊が必要で、領土と名誉のためには剣をとるのが騎士道精神みたいな、500年くらい前の旗ふったりしているのに、案外信奉している一般人も多かったりするんだ。

世界中の人々は「戦争のない」時代を望んでいる。その方法論がわからない。その一つに「平和憲法」の制定はあるんじゃないか。そのことに気付きはじめた人が増えて来ている。

そんなのは理想であって、現実離れしている。領土問題、宗教問題、経済格差、いろんなことで戦争は起こるんだ。現実を直視したら、強力な軍事力は必要なのではないか。

必要なのかもしれない。でも理想は理想でいいじゃないか。日本は世界にさきがけて、平和憲法という理想の旗を掲げた。それを、ちょっと現実離れしているからって、せっかく上げた旗を降ろすことはないのではないか。

人類の理想なんだから。この旗をめざして世界が動けばいい。

領土問題は、話し合いで解決するしかない。金銭や支援、共同開発とか、知恵を出すんだよ。そのうち国境もなくせばいいくらいの気持ちでいればいい。

宗教問題は難しいね。心の問題だから。だけど、「どの道を行くも花野は同じかな」「宗論はどちら負けても釈迦の恥」って、釈迦じゃないけれど、むしろイスラムとキリストの神は同じなんだから。うまくやろうよ。

経済格差、実は貧困さえなくなれば戦争はなくなる、と私は思う。食い物がないから、力で奪おうと考えるから戦争は起こるんだよ。

そうやって知恵を出して、理想に進む。その指針が平和憲法だと私は思う。

 

果たして日本の平和は憲法がもたらしたのか

 

これも改憲論者でよく言う人がいる。

あと、アメリカから押し付けられた憲法をなんでありがたがっているんだ。

マッカーサーが作った憲法とも言われているが、憲法研究者の意見は、当時の日本側の意見がかなり取り上げられたとも言われている。だからといって、押し付けられた憲法でないとは言えない。アメリカとしては、日本に軍隊を持たせないことで、二度と日本との戦争を避けたいという思いはあった。そこらへんを、日本の行政官たちは忖度して、憲法が出来たというところがなくもない。

だがね、どうやって作ろうと、やはり、「平和」は「世界の理想」なんだ。それに間違いはない。どうやって作ろうと、誰が作ろうと、理想の旗は掲げられて、70年以上、世界にアピールしているんだ。その旗をなんで降ろす必要があるのか。

戦後75年が経とうとしている。朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争、日本が戦争に巻き込まれそうになることは何度もあった。北朝鮮のミサイル問題も決して解決したわけではない。

日本が戦争に巻き込まれなかったのは、平和憲法があったから、というわけではない。その時代の政治家、官僚たちの外交努力のおかげであり、世界情勢もあった。ただ、ひとつのツールとして、「軍隊出せよ」「勘弁してよ、うとは憲法あるんだから。国民が納得しない」と言って逃れてきたことも何度かあるんだろう。

よく、そんなに憲法がありがたいなら、尖閣にでも六法全書持って、中国軍と戦ってみろ、とかいう人がいる。なら言うよ。、あんたは自動小銃でもロケットランチャーでも持って、戦ってみろと。出来やしまい。

一個中隊指揮してたって、北朝鮮軍の偽装船くらいなら追い払えても、人民解放軍が本気で来たら5分と持つまい。

 

自衛隊が可哀想

 

自衛隊違憲か合憲か。という論争もよくある。

自衛隊を軍隊とするなら、あきらかに違憲だろう。だが、憲法の拡大解釈で、軍隊のような軍隊ではない自衛隊という存在で合憲という、あいまいな状況にある。

災害救助とかで、あれだけ活躍してくれている自衛隊の人たちに、私たちは感謝している。その人たちに、「あんたたちは違憲だ」とか「あいまいな存在?」なんて言うのは可哀想だ、失礼だ、という意見もよく耳にする。

軍隊だから違憲で、軍隊もどきだから、あいまいなんだ。

「災害救助隊」じゃ何故駄目なのか?

子供の頃、テレビでイギリスの人形劇で「サンダーバード」ってやっていたのを覚えていますか。イギリスの退役軍人が作った5人の息子を中心にしたメンバーの国際救助隊が、超音速ロケットやさまざまな重装備を駆使して、世界中の災害や事故から人々を助ける。彼らには軍事的な能力も必要とされ訓練は受けているが、目的はあくまでもレスキューにある。

災害現場での日本の自衛隊の活躍を見るにつけ、めざすところは国際救助隊でいいじゃないかと思う。何も迷彩服で銃を手にする必要はない。

レスキューや、警察で対応できない武装団による犯罪の鎮圧、沿岸警備などを任務とする。名称はあとで考えればいい、そういう何かであればいいのではないか。戦争には行かない、任務はレスキューが中心となれば志願者も増えるのではないか。

 

13条、18条についても言いたいことはあるが、とりあえず今回はこのへんで筆を置く。またいつか、いろいろ述べたいと思う。