「漢」と書いて「おとこ」と読む?

 ちょっと前にワイドショーを騒がせたボクシング協会の会長、その言葉の一つ一つが、かなりアナクロだった。まるで、昭和40年代の任侠映画か、北島さぶちゃんの演歌の世界を彷彿させる。そういうアナクロは嫌いじゃないけれど、やはり、いまの時代では、おかし味しかない。

 なかで「漢(おとこ)山根は……」ってよく言っていたけれど。漢字の「漢」と書いて「おとこ」と読むのを、あれで知った人は多いんじゃないか。「男、山根」じゃいけない。「漢」としたのは何故なんだろうか。また、なんで「漢」と書いて「おとこ」と読むのだろう。

 

「漢」とは「好漢」のこと

 

 世の中には、男と女がいる。中には性別不詳、性別をあえて問わない人もいるが、生物学的には「男と女」だ。生物学的な男を「男」と書く。

「漢」は「好漢」などと呼ばれたりもする。「好」は「よい」の意味で、「いいおとこ」ならイケメンを言うが、造作のよし悪しは問題ではない。了見のいい男をいう。すなわち、「おとこの中のおとこ」、強さと人情、それが「好漢」になる。

 何が「おとこらしい」のか。そのあたりの識別は難しい。

人によって価値観が異なる。強さとは、単に腕力の強さをいうのではあるまい。現代ならば、単に腕力が強いだけでなく、弁舌や、組織統率力、選挙などの集票力とか、いわゆる「力」の強さになるのだろう。強いとどうなるのか。権力を持つ。権力を持つと、いろんなことに無理が通る。そこで超法規な処置で敏速にものごとを進められたりもする。それを自分の欲得だけでやっていたら、人は離れ、すぐに権力を失う。だから、自分を慕ってくる、いわゆる子分たちにはそうした利益のお裾分けをする。それをすなわち人情という。

「義理と人情」、それじゃ、やはり北島さぶせちゃんの世界じゃないか。でも、「義理」と「人情」は対義語である。「義理」とは世間の柵(しがらみ)、「人情」は己の中の「優しさ」を言う。

 わかりやすい例で言えば、残業をするのは「義理」だ。給料もらっているから。残業しないで帰ると「義理知らず」と言われる。で、残業しないで、デートに行くのが「人情」。彼女(彼氏)への優しさ。デートの約束をしている日に上司から残業を命じられる、これが「義理と人情を秤にかけりゃ」という状態になる。で、漢の道は「義理が重たい」。

 一方、優しいおとこ、人情を知るのも、「漢」なのだ。ところが、すべての人に「優しさ」を見せない。自分を慕っている子分たち、自分のために働いてくれる者に対してのみ「優しさ」を見せるんだ。

 敵は徹底的に叩く。敵を叩いて強さを見せる。敵とは何か、自分にはむかって来るヤカラだ。こいつらを叩くことで、強さを見せ、逆らったらどうなるかを子分たちに示す。いわゆる恐怖政治というヤツだ。

 そう考えると碌なもんじゃないね。

 ホントは「弱きを助け、強きをくじく」のが、真の「漢」だ。しかし、「漢」の意味はあきらかに違ってきた。「自分を慕う者を助け、逆らう者をくじく」。

郷土愛も強いから、そら、「○○判定」なんていうのは、郷土愛と権力のアピールには何よりだ。

 

語源は中国

 

 さて、「漢」の語源だが、簡単だ。中国人のことを漢民族というでしょう。

 つまり、語源は中国。って漢字なんだから、考えてみれば、全部、中国だ。

 中国っていうのは広い。だから単一民族ではない。いろんな人種がいる中、漢民族が長い間、歴史を動かして来た。

 つまり、中国の政治の中枢に漢民族がいたことが多い。勝てば官軍ね。つまり、正義が漢民族にあった。

 一般的な男性の中で、優れているのが漢民族のおとこ、漢民族のおとこは「おとこの中のおとこ」で、強くて、義理人情を知る。だから、性別的な男の中でも、とりわけ「漢」は偉い、立派な人、だから、尊敬せよ。みたいなところから生まれたんだ。

 

中国の王様は神から選ばれた

 

 日本は天皇家万世一系の家系で、神武天皇から今日の陛下まで143代の天皇が続いている。約2300年くらいになるのか。歴史的な間違いはもちろんあるが、そういうことになっている。そのことが今のテーマではない。

 中国は3000年の歴史があるが、一系の王朝ではない。時々、王朝が変わる。元(モンゴル族)や清(満州族)に攻め込まれて征服されてしまうこともあったが、中国内の諸侯(領主)が反乱を起こして王朝を倒すこともあった。

 そもそも王様、皇帝とは神から選ばれた存在である。だから絶対なのである。日本の天皇家がそうで、藤原氏がどれだけ権力を持とうが、武家政権が政治の中枢を担おうが、天皇家だけは続いて来た。

 中国の王朝は何故倒れるのか。元や清などの外敵に倒されるのは仕方がない。反乱で倒れることがある。反乱を起こす諸侯は神の代理である皇帝に弓を引く。それは「悪」なのではないのか? 皇帝を倒した諸侯の一人が次の皇帝になるのでは、力が正義の世の中になってしまう。そんなことは簡単には認められまい。

 つまり、どういうことかと言うと、中国の神は時々、皇帝を見放すのである。皇帝の力が弱まる、傲慢さから悪政を施す時、神は王朝を見放し、台風や地震など天災が起こす。イナゴが大量発生して稲や麦を食い尽くす。そして、大飢饉が起きて、大勢の人が死ぬ。それに対して政治は無力で何も出来ない。神が王朝を見放した、そう思った諸侯が立ち上がり反乱を起こして王朝を倒す。神に見放された王朝を倒すのだから、神に弓引くのではない。つまり、「正義」なんだ。これを易姓革命という。

 最初にこれをやったのは、周の文王・武王の親子である。今から3000年前、黄河にあった殷王朝を倒し、周王朝を建国した。神が殷を見放し、次に周を王朝に指名したのである。

 ちなみに、漢王朝は、紀元前202年に起こった。初代の高祖は劉邦。前の王朝は始皇帝でおなじみの秦。秦は周代に起こった諸侯の一つであったが、紀元前221年に始皇帝が中国を統一した。始皇帝が強大な力をもって中国を統一したものの、始皇帝が亡くなりすぐに求心力が弱まった。多くの諸侯が秦を倒して易姓をめざし、楚の項羽が天下を取るが、劉邦がこれを破り、漢を起こした。

 ちなみに劉邦はもともとは諸侯ではない。田舎の居酒屋の酔っ払いだった。中国では、他にも明の朱元璋が庶民から皇帝になった。

 なんで劉邦はただの酔っ払いから皇帝になれたのか。始皇帝が強大な権力でやりたい放題やって乱れた国を立て直したいという志と、人心掌握術があった。劉邦自身はただの酔っ払いでも、軍師の張良、豪傑の韓信らに加え、軍資金を調達してくれるスポンサーを心酔させて味方にした。

 志があって、人の心を、恐怖政治でなく掴んで、自身の志を共有してことに当たる、実は劉邦こそが「漢」、「おとこの中のおとこ」なのだ。