科学が発達して私たちは幸福になったのか?

子供の頃から家にテレビがあった。だから、アニメを見て育った。「鉄腕アトム」やら「鉄人28号」なんていうのを見ていた。人型ロボットが人間と共存している社会、そんな風景が自然にすりこまれていた。

サイボーグ009」になると、人間でありながら、一部が機械化されたサイボーグで、彼らはほとんど人間として暮らしている。しかし、戦闘サイボーグだから、足の関節からミサイルが発射されたり、口から火を吹いたり、夢があるんだかないんだかわからないけれど、子供としては心ときめくものがあった。

機械化される社会がもの凄い格差社会になっていると警鐘をうながしたのが「銀河鉄道999」で、現実に迫った近未来を思春期の子供なりに思いをめぐらせたものだ。

そして、時代は21世紀となった。

20世紀後半には、家にはパソコンがあったし、携帯電話も持っていてた。パソコンは主に仕事で使っていた。携帯電話はお姉ちゃんと仲良くなるためのツールとして、わりと早くに手に入れたが、お姉ちゃんから掛かってくることはあまりなく、こっちから掛けると留守番電話という新たな機能と遭遇した。

 

鉄腕アトム」の電話は黒電話だった

 

そう言えば、「鉄腕アトム」に登場していた電話はダイヤル式の黒電話で、コードはクルクルまるくなっていて伸び縮みするものだった。当時は黒電話が最新テクノロジーで、電話のある家も少なかった。最新で超カッコいいくるくるコードの黒電話がテクノロジーの象徴でもあったのだろう。

諜報部員みたいな奴らは時計や万年筆に無線やカメラを仕込んでいたりしたが、まさかわずか3、40年後には、一般の人が電話とカメラがついた、10センチくらいの携帯電話をポケットに入れて持ち歩くようになるとは、夢にも思わなかったであろう。

 

科学はいろんな方向に動いていて、SFでは創造しきれない世界に動いている。

ジュール・ベルヌの「月世界旅行」では、長距離大砲をより高性能にして月に向けて発射した。ロケットはその原理かもしれないが、「大砲」というビジュアルが小学生の時に読んでもかなりおかしかった。

鉄腕アトム」ではくるくるコードの黒電話もそうだが、「アトム」だ「ウラン」だ、近未来を支えているのは原子力である。別のSF小説で読んだのは、21世紀中頃には家庭用原発が各家庭に置かれて、なんていうのもあった。

60年代~70年代には原子力が未来を変える理想のエネルギーだった。

70年代後半くらいから、原発の危険性などに疑念を持つ人が増えはじめる。政府は「原発安全キャンペーン」をかなりやっていたことを記憶している。やがて、チェルノブイリ、そして、福島第二原発の事故が起こった。夢と崩壊が背中合わせという現実を、私たちは受け止めねばならなかった。

 

科学が発達して私たちの暮らしはどうなったのか?

 

どうなんだろうか。

科学万能を夢見た50年前から、パソコンや携帯電話が一般に普及した現代とで、私たちの暮らしはどう変わったのであろうか。

もう少し昔から考えてみると、昭和のはじめ頃は平均寿命が50歳くらいだった。もちろん昔も長寿の人はいた。でも平均寿命は50歳。平均寿命が延びたというのは、医学の進歩が大きいのだろう。治らない病気が治るようになった。予防医療も進んだ。

それ以上に一般に食糧などが行き届き、餓死や栄養失調も減った、というのが大きいのかもしれない。

戦後、食糧問題は改善され、昭和30年代半ばには平均寿命も65歳に上がっている。

いまは80歳を越えた。

高齢化問題など抱えている課題は多いが、元気にイキイキ生きられる世の中になったことはいいことだと思う。

 

移動は便利になった。都内ならJR、私鉄、地下鉄でどこにでも行かれる。いや、昭和30年代までは都電が網の目のように走っていて、今より便利だった、という人がいる。それは間違い。というか勘違い。都電と電車では輸送量が違う。早さも違う。のどかさが失われた? 都電は決して「のどか」ではなかった。昭和のはじめの流行語に「電車混むね」というのがあったそうだ。電車が混むことが流行語になるくらい、市電(都電)は混んでいた。

昭和40年代に都電が廃止されたのは、混雑の解消が理由のひとつで、地下鉄に移行することで混雑は解消された。

 

テレビ、ビデオ、パソコン、掃除機、冷蔵庫…。私たちは生活のどれだけを電気製品に頼っているのだろう。コンセントの数が尋常じゃない。まぁ、それもいまの人たちには普通のことになっているし、コードレスな家電商品もどんどん増えている。

ただし、やはり忘れてはいけないのが3.11東日本大震災の記憶だ。停電で一番困ったのはオール電化の家で、ドアすら開かなくなった。高層マンションのエレベーターが止まったり。冷蔵庫が止まれば、アイスは溶ける。生命機器を電気に通っている人は命の危険すらあった。

 

東京では「飢える」ことはない。しかし……

 

食べ物。少なくとも「飢え」はなくなった。日本の東京での話だけれど。

コンビニに行けば、夜中でもなんか食べ物はある。金がなくても。そら一文なしではしょうがないが、108円あれば、100円均一のお菓子やインスタント食品は売られている。とりあえずの空腹は満たすことが出来る。

それは科学の問題でなく、社会環境の問題だ?

いやいや。科学が発展して、加工食品なんかが手軽に食べられるようになったんだ。それでコストも下がった。

昭和30年代にチキンラーメンが、40年代にボンカレーカップヌードルが登場した時は驚いたし、便利な世の中を実感した。

ただし、加工食品は食品添加物などの問題もある。危ないからと言って、加工食品を食べずに天然のものだけを食べようと思ったら、コストが掛かる。

「遺伝子組み換え食品」なんて、科学が到達した究極な響きがあるが、さまざまな危険を含んでいる。これで食糧問題は解決! とならないのが科学の限界なのか。それともそこに未来が見出せるのだろうか。

SFだと、「スタートレック」で人類が宇宙を駆け回る22世紀には、食糧は分子レベルを生成して加工している。食糧問題なんてとっくに解決しているのだが、天然ものの食べ物を知っている21世紀世代の老人たちは、分子生成の食品を「まずい」と一言で切り捨てている。

 

パソコン世代との価値観の違い

 

現代の社会生活において、やはり一番大きな変化はパソコンと携帯電話だろう。

私の場合で言えば、字が下手だった。小学校の時に習字を習ったりもしたが、まるでうまくならなかった。一生懸命丁寧に書けば、なんとか読める字は書けたが、時間が掛かる。そして書いた字も「なに、これ、子供が書いた字?」とよく言われた。

いまから30年ちょっと前、ワープロが登場した時は、「これで人生が変わる」と思った。数十万出してワープロを買った。事実、人生が変わったと思う。書くことが苦手ではなくなった。そして、20年近くワープロ専用機を使っていた。

パソコンを使うようになって20年くらいになるのか。ワープロで打ったものをプリントして、FAXで送っていたのが、パソコンで打ったものをメールに添付して送るのが普通になった。

仕事だけでなく、ゲームはあまりやらないが、それでせも息抜きでやったことはある。通信はやはりメールは便利だ。便利だけれど、どうなんだろう。電話一本で済む用事が、何本もメールのやりとりをするようになった。それも今では、さらにライン感覚で、短いメールが何本も来る。正直、「うざい」と思うが、若い人たちは、いちいち電話のほうが「うざい」のかもしれない。

 

それでも科学で「夢」を追う

 

便利は危険をともなう。

それもやがて、科学が解決するのか。

交通事故は今でも深刻な問題だが、自動運転システムの発展で、それらがなくなる日も近いかもしれない。

メールの件もそうだが、世代によって、「慣れ」があって、私たちが苦手なことも、若い人にはすらすらこなせることもある。

これからも私たちは科学と適度に付き合い、科学の発展により得る便利さ、不便さを両輪に生きてゆくのだろう。

考えてみれば、地球が平和になり、宇宙に出て行ったら、宇宙人との戦争がはじまる。夢は膨らむが果てしない。なかなか実現しないから「夢」なのだ。