セクハラとは何かについて考えてみる

セクハラとは何かについて考えてみる

 

「セクハラ」は悪いに決まっている。

なのに財務省のトップや、人気テレビ番組の元プロデューサーだったテレビ局社長や、他にも官庁や企業の管理職らのセクハラ事件の報道があとを絶たない。

財務大臣は「セクハラ罪はない」と言ったが、そういう名前がないだけで、セクハラは犯罪である。嫌がる女性に性的に行為に及べば、強制猥褻になる。法律の問題でなくても、そもそも「ハラスメント」、「他人のいやがること」をしていいわけがないのだ。

 

「セクハラ」という言葉は30年前の流行語

つまり30年もなくならずに存在しているのは何故か

 

「セクハラ」という言葉が日本に登場したのは、なんと平成元年(1989)だ。その前からも「セクハラ」という言葉は使われていて、酔っ払いに女性が絡まれて訴えた時などに「セクハラ」という言葉が用いられたが、一般に用いられるようになったのが平成元年で、その年の流行語大賞にもなった。

職場で女性の前でエッチな話をしたり、からかったり、場合によってはお尻を触ったりするエロオヤジが大勢、糾弾された。

なるほど、職場の女性は不愉快な思いをしているんだ。反省して、性に関する言動は慎もう、そう思った男性は多くいたと思う。なのに、「セクハラ」という言葉が登場して、30年もなくならないのはいったい何故なのか?

まずは「セクハラ」という言葉の意味を考えてみよう。ただしくは「セクシャル・ハラスメント sexual harassment、意味は「性的いやがらせ」になる。アメリカでは70年代から登場していた。70年代頃ではアメリカでも女性への性差別は行われていて、さまざまな運動が培われていったのだろう。

「いやがらせ」の中でも、「性的」な、いわゆる秘する部分に迫るのであるから、下品で性質が悪い。

30年も問題視されながらも、セクハラがなくならない。

それは男性の意識の問題が大きいのではないかと思う。

最近の若い人はまた考え方が違うようだが、40代よりも上の男性は異性に対してわりと柔軟な考え方を持っている。

たとえば、異性から「好きです」と言われて、その相手が好みのタイブでなかった場合。女性はたいてい、きっぱりと断わる。返事を濁しても、「好きだ」と言われたことを不快に感じる場合が一般的である。なるべく相手を避けるようにして、なんとか不快であるという意思を気づいてもらおうとする大人の対応をとる場合もある。まれに相手に悪いからと「OK」してしまう、優し過ぎる女性もいたりするが、「OK」してから後悔する。

ところが男性は、女性から「好きです」と言われたら、それが好みのタイプでなくても、ちょっと嬉しかったりする。「好きです」と言われたことが、ある意味、男性として認められた自信になったりする。女性が勇気を出して告白してくれたんだから応えなければならない、というフェミニストなんだか「据え膳食わぬは男の恥」という発想なのかはわからないが、男性はまず「NO」とは言わないだろう。もちろん、個人差はある。恋愛に潔癖な男もいれば、奥さんや恋人がいて、泣く泣く諦める場合もある。その場合でも「泣く泣く」である。すべての男性がというわけではないが、一般論として、男性は女性に対して柔軟な態度を取るものである。

最近では女性が社会進出し、強い女性から男性へのセクハラも問題にはなっているが、ある程度年配の男性なら(オヤジはなかなかセクハラの対象にはならない。たいていはイケメンの若者だろうが)、女性上司からセクハラされるのもちょっと浮き浮きするプチマゾヒズムな楽しみもあったりする。

ようするに、男性は案外、性的な行為、言動に寛容さを持っていて、自分がいいんだから、女性もそんなに傷ついてはいないんじゃないの、という思いが少なからずあるものだ。

 

ではもしも、

同性愛の男性からセクハラを受けたら

 

少し発想を変えてみる。

女性から性的対象として見られることが、ある意味自信に繋がるから、寛容に捉えている男性が多いのかもしれないが、もしも同性愛の男性から性的対象と見られたらどうするか。

同性愛者を差別するつもりはさらさらないが、同性愛者は同性愛者のパートナーだけを性的対象と見ているわけではない。一般の男性も性的対象になる。

ちょっとオカマっぽい会社の同僚にキン*マを握られるくらいなら、ただのおふざけでもいいが、同性愛者の男性から真摯に告白されたらどうするか。女性が相手のようには必ずしもゆくまい。

ましてや、同性愛者の男性から、セクハラを受けたらどうする? 逃げる、殴る、罵倒する、訴える……、なんらかの手段を講じるだろう。

ようはそういうことで、一般の女性は男性から性的対象と見られることに、恐怖や羞恥や嫌悪を感じている場合があるということだ。そういう気持ちを少なくとも男性は理解する努力はしたほうがいい時代になっているということだ。

 

セクハラは悪いに決まっているのだが

セクハラを一括りにしていいのか

 

とは言え、「あれ、今日、彼氏とデート?」「髪切ったよね、カワイイくなったよ」などと女性に声を掛けるのも「セクハラ」と言われると、どうなのか、という思いも、男としてはなくはない気持ちもある。

これを言ったらセクハラ? なんて言葉を選んでいたら、会話にはならなくなりそうだ。ただでさえ人間関係難しいのに、そんなことまで気遣って、世のおじさんたちはお腹が痛くなる。

これはある意味、暴論かもしれないがあえて言う。

セクハラをなんでもかんでも一括りにしていいのか。

もちろん、セクハラは悪いのである。「あれ、今日、彼氏とデート?」「髪切ったよね、カワイイくなったよ」でも不快に思う女性はいるのである。

わかった上であえて言うが。

一番悪いのは、たとえば、職場の上司、人事権を持っているような役職の者が、昇進を餌にしたり、解雇や降格で脅したりして性的関係を迫る行為である。これは絶対に許せない。

そこへいくと、職場でささやかなエロ話に興じるオヤジの存在くらい、寛容な気持ちで許してあげてもよくはないか。

もちろん、酷いものに対しては、叱責なり、なんらかの懲罰を加えても仕方がないが、許せる範囲というのはあるのではないか。言葉一つ発するのに、オヤジがびくびくしていては、仕事にも支障をきたすだろう。

いや、そういうエロオヤジを許すことが、セクハラの温床になる。間違った認識は正すべき。無駄口をきかずに仕事しろ! そう言われたら、やはり何も言えなくなる時代なのか。とほほほ。